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院長が自分の半生をちょっと回顧

昭和34年(1959年)0歳

昭和34年(1959年)長崎県の佐世保市で、両親が教諭という環境のもとで、長男として生まれました。
父(和彦)の当時の記録をみますと「待望の赤ちゃんが生まれました。しかも男の子。ダルマに片目を入れて玩具を買って来て、昭彦と名前をつけました。」とあります。昭和の元号と、父「和彦」の字を一文字とり、「昭彦」にしたようです。

昭和46年(1971年)12歳

佐世保市山手小学校6年でした。小学1年の6月に、実母が癌のため他界しました。入院していた佐世保の病院から無理をして入学式に来てくれた母には、今も感謝しています。
 純朴に伸び伸びとした少年時代を過ごしました。中学に入り「高校受験」という目標ができ、少しは勉強をするようになりました。

「医学部に入学して、人を助ける医師になりたい」という気持ちが芽生えた頃です。地元の花園中学から、鹿児島ラ・サール高校に、塾にも行かずに自力で勉強して合格したことは、自分の人生の自信となっています。

昭和58年(1983年)24歳

 この年は、私にとって記念すべき年となりました。九州大学医学部専門課程の学生でしたが、早々と結婚をしました。安定した家庭ができ、勉学、臨床の研修にも熱中した頃です。奨学金をもらい大学に行きながら、家庭教師のバイトをして何とか生活をしていました。慎ましい生活ではありましたが、今振り返ると懐かしい思い出が一杯詰まった頃です。
 昭和60年には、九州大学医学部を優秀な成績で卒業して、伝統ある第二内科医局に入局。藤島正敏教授の第1期生として、臨床研修を大学病院にて行いました。

平成7年(1995年)36歳

 平成4年から、春日市にて内科開業医としての生活を始めていました。医学部を卒業して8年という異例の早さで開業しました。動物実験などの基礎研究よりも、患者さんと直接に触れ合い、話すことのできる臨床が好きでしたので、早く独立したいという強い気持ちがありました。開業を許可して頂いた故藤島教授には、感謝いたしております。
 平成7年には、開業して3年が経ち、患者さんの数もやっと増えて来きました。開業医の苦楽が身にしみて感じられるようになりました。地域の医師会(筑紫医師会)にも加入して、学校医や予防接種などの地域医療のお手伝いをするようになりました。

平成19年(2007年)48歳

お陰様で地元の内科クリニックとして、すっかり定着しました。筑紫医師会では理事として、健診部門、会計の主務を4年間行いました。
 今が臨床医としては、心身ともに充実した年齢であると思います。それだけに、地域医療への貢献をできる限り頑張りたいと思っています。
 2019年には、60歳の還暦を迎えました。自分の健康管理にも注意して、

これまで、内科臨床医の仕事を継続できてたことは幸せでした。

令和3年(2021年)5月で、29周年を迎えました。コロナウイルス感染症の流行による昨年来大変な状況が続いておりますが、今後ともスタッフが協力して、微力ながら地域医療に貢献したいと考えています

令和4年には、30周年を迎えます。その頃には、コロナウイルスが収束していることを願っています。

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